自分の歴代パソコンでも書こうか

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いや~、スマホやタブレットって、ほんと便利ですね!

どうも、もんちです。

今やスマホ、タブレットの全盛期!

スマホやタブレットが全盛の今、デスクトップパソコンはおろか、ノートパソコンですら使わなくなりつつあります。

だって、電源入れっぱなしでも1日中バッテリーは持ちますし、とにかく電源ボタン入れてからの立ち上がりが早い!

WindowsやらMacOSのバージョンアップがいくら図られようと、立ち上がりの時間はとにかくネックでしたね。

スマホやタブレットを使うようになってからはインターネットは全部そっち(笑)

MicrosoftOfficeやAdobeCCなどは仕方なくノートやデスクトップ。

そんな感じです。

今までもパソコン使う最大の理由がインターネットですし、ほとんどがスマホやタブレットになっても仕方ない話ってもんです。

そんな中、今まで使っていたパソコン達が走馬灯のように思い出されてきたのでちょっと備忘録がてら、使用してきたパソコンたちを記しておこうと思います。

NEC PC-8801FH

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私が最初に触ったパソコン、それはNECのPC-8801FHというパソコンです。

我が家にやってきたのは1986年でした。

私が小学3年生のときのことです。

当時は任天堂のファミリーコンピューター、いわゆるファミコンが発売されて一世を風靡していた時代。

我が家にはファミコンなどという玩具は無かった。

がしかし、兄が工業高校の電気科に通い始めたこともあり、父が大奮発して兄にパソコンを買ってあげたのでした。

CPUのクロック数は8MHzと4MHzの切替が可能というナイスな仕様。

メインメモリは128KB・・・128キロバイトですよキロバイト。

フロッピーディスクも5インチでしたね。

ドライブを読み込む「ギーゴー、グッギッ」って音とか、懐かしすぎて涙が出ます。

このマシンで死ぬほどプレイしたのが、光栄(現:コーエーテクモゲームス)の代表作

信長の野望 全国版

これです。これこれ。このゲーム。

兄や姉と一緒に白熱しすぎて夜中の0時過ぎまで騒いでいたら隣のおじさんにブチギレられたのも今となってはいい思い出。

日本ファルコムの「イース」や「イース2」も死ぬほどプレイした記憶があります。

あと、これはまた後ほど書こうと思いますが、アルシスソフトの「リバイバー」というこれまたマニアックなゲームに出会ったのも衝撃でした。

みんながファミコンでドラゴンクエストにハマっているころ、私はドラゴンスレイヤーにハマっていました(笑)

実はワタクシ、ドラクエシリーズは一度もプレイしたことが無い、全国でも稀有な存在なのです。

EPSON PC CLUB(PC-286CSTD)

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さて、88が我が家に来て3年後、兄が就職先の研修で1年間大阪へ飛ぶことになりました。

これで88を使い放題となった私は、やることは相変わらずゲームばかり。

BASICを弄ろうにも、なんだかよくわからないし、参考書片手にしても基本的に興味がなかったようでスグに飽きてしまい、ゲーム三昧でした。

そして1年後、兄が帰ってきたのです。

その兄が携えていたものがEPSONの「PC CLUB」です。

当時エプソンは、NECの9801シリーズの互換機を発売していました。

NECの98シリーズは高いんですよ。

でも互換機であるいEPSON機は同等性能なのに安い。いや、むしろ性能はNECの上を行っていたような気もする。

このPC CLUBの見た目の特徴はというと、本体とキーボードが一体型というところでしょう。

CPUは80286を搭載していてクロックは10MHzです。

このパソコンが88ユーザーを98ユーザーに移行させたのではないかと自分では思っています。

各ゲームソフトメーカーも88を見捨てる動きが多くなっていました。

88では時代遅れになっていたのでした。

兄は大阪に行っていた1年間、このPC CLUBでパソコンライフを過ごしていたようです。

帰ってきてすぐにEPSONのPC-386DXを購入して、このPC CLUBを払い下げしてくれました。

晴れて98ユーザーとなった私は結局ゲーム三昧な中学校生活を送ることになりました(笑)

しかも外付HDDが必需品になってきたのもこの時期です。

HDDは大容量で高速。FDDでゲームするなんてナンセンスだ。

そう思わされた時代でもありました。

98のゲームで一番ハマったのが日本ファルコムの「ブランディッシュ」シリーズです。

フルマウスオペレーションなんていう触れ込みで、何回マウスを壊したことか(笑)

EPSON PC-486SE

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高校生になった私はついに自分のお金でパソコンを買うことにしました。

バイトで貯めたお金とお年玉で貯めたお金のほぼ全額をはたいて、ついに本当に欲しかった自分専用のマシンを手に入れた瞬間でもありました。

なんといっても当時としてはコンパクトに見えましたし、スペックも申し分ない!

CPUはi486SX(25MHz)、メインメモリは1.6MB、それでいて定価は158,000円。

もうゲームするだけの自分にはもったいないくらいの高性能機なうえ、安価。

(上述のPC CLUBも当時としては十分に安価でしたけど。)

HDDも新しい300MBのものを購入してご満悦でしたね。

もうHDDにインストールすることが前提となるゲームばかりでしたし。

そして、外付HDDにOSとしてWindows3.1を初めてインストールしました。

(それまではHDDには必ずMS-DOSのシステムを入れていた)

Windowsではソリティアやマインスイーパばっかりやってた記憶があります(笑)

98シリーズで埋め尽くされていた日本に、DOS/Vマシン(PC/AT互換機)という黒船がじわじわ押し寄せようとしていた時期です。

東芝 DynaBook Satellite 110

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初めてのノートパソコンライフは、大学入学とともに始まりました。

大学が各学生にノートパソコンを持たせて・・・というか買わせて、授業でも活用するという方針だったからです。

無理矢理買わされたのが、東芝のDynaBook Satellite110です。

OSはWindows95搭載で、内臓HDDも800MBくらいでしたかね?

CPUはPentium(100MHz)

ついにPentiumマシンを手に入れたことになりますが、初めてのPC/AT互換機ですし、完全にWindowsマシンですので、98シリーズに慣れ親しんでいた身としてはなんとも使い勝手が・・・。

キーボードの真ん中にポインタがついてまして、これがすぐ黒ずんで汚れた記憶があります(笑)

ただWindowsは優れたOSだったんでしょうね。

すぐに慣れました。

というかもう98シリーズになど戻りたくないと思いました。

学生生活で使うアプリケーションはDynaBook、家では98ゲーム。

そんな毎日でした。

自作PCに興味を持ってしまう

Windows98が発売になってからは、もうWindows一色となってしまいました。

パソコンも自作の方が安くできて、自分好みのものが作れてしまう、そんな時代です。

CPUもPentium~Pentium4の全部を載せ替えて作りましたし、とにかく新しい高性能なCPUを求めていましたね。

また、ケース筺体選びからメインボード選び、メモリの増設やらHDDの載せ替え、グラフィックボードの増設、などなど、いろいろ体験しました。

目的は無かったのですが、自分でマシンを作るのが楽しくて仕方なかったなぁと思います。

パソコンを自作するのをやめる

しかし、高スペックなマシンを求めてチューンニングしていっても、それに満足してしまい、本来のパソコンを使う理由から完全に外れていました。

正直そのころはゲームも全然やらなくなっていましたし、得にビジネスソフトを使用するわけでもなく、ただただ性能アップのみを目指していた自分に気付いたときに、馬鹿らしくなってしまいました。

そうして、Core2Duoを載せた自作パソコンを最後に自作しなくなりました。

自作よりも既製品を買った方が安い時代にもなっていたのも原因かもしれません。

今はVAIODUO13をメインにして、ディスプレイ2枚プラスしています。SSDだと立ち上がりが早くていいですね。

あとサブマシンとしてMacBookAirを使っています。

ネットサーフィン用にiPadですね。

あとは日常的にスマホばかりです。

振り返ってみるとせっかく早い段階でパソコンに触れていたのに、何も自分にプラスになるようなことをやっていない自分に気づいてしまった(笑)

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